わたしが部誌を書いていると、コート整備を終えたらしい宍戸と長太郎が部室に戻ってきた。いつもながらお二人さんお熱いことで。軽口を叩くと長太郎は、「そんなんじゃないですって」と苦笑する。あれわたし先輩なのに超見下されてる感じがする。若干落胆しながら部誌に目を落とすと、

「自分らやかましいで」

学校を休んだ跡部に押し付けられた仕事に追われて少しイライラしているらしい忍足が怒声を飛ばしてきた。事情を知っているからか、悪いな忍足、と悪びれる様子もなく宍戸が軽く言うと忍足はチッと舌打ちをして山積みの書類にとりかかった。「これも全部跡部が休んだせいやインフルなんか罹りよって…」忍足が呪詛のようにぶつぶつ呟きながら機械的に手を動かしていく。あれこんなキャラだったっけこの人。そういえば今日は親の帰りが遅いのを思い出す。ああ弟達のご飯作らなきゃなあとわたしもペンを動かすスピードを速めた。

「先輩、戸締まり終わりましたけどまだ残るんですか」
「ああ日吉ありがと、あとはやっておくから」
「そうですか。それじゃあ失礼します」

鍵を持ってきた日吉は書類にあえぐ忍足を気遣いもせずさっと帰ってしまった。面倒事を押し付けられるのを早々と回避したらしい。宍戸と長太郎も帰ったし、樺地はきっと跡部の家に向かっただろう。ジローちゃんは校内のどこかで寝ているだろうから起こさなきゃなあと仕事を増やしたジローちゃんを恨む。弟達、泣いてないといいんだけど。

やっと部誌を書き終えると、忍足はぐったりと机に突っ伏していた。山積みだった書類は処理され整理されいくつかの束に分けられている。遅筆な自分をこのときばかりは呪った。早いとこ部誌なんて片付けて手伝ってあげたほうがよかったかも。そっと彼を覗き込むと地獄の底から這いのぼってきたような声で忍足が言った。

、あとで付き合え」
「えっなんで」
「跡部のアホに書類渡しに行かなあかんのや。で、今日の報告もそこでやるからマネージャーはついていけって榊先生が言うてた」
「跡部インフルじゃんうつっちゃうよ」
「せやな、迷惑な話やけどあの人が言うたことや、やらんっちゅー選択肢はあらへんのやろ」

跡部が休むと俺に二人分の仕事が降りかかるんやで。忍足はなおぐったりしながら愚痴っぽく言った。忍足も忍足で跡部の補佐役として仕事がないわけでもないから、今日はもともと自分がやらなければいけなかったことにプラスアルファとして跡部の仕事がのしかかったのだ。大変だねえと相槌を打てば、自分も手伝ってくれたらもっと早く終わったんやけどなあと皮肉を言われた。くそう忍足には何もかも勝てない。

「わたしジローちゃん探しに行かなきゃ」
「ジローならさっきメール入ってたで。もう帰るって」
「ああそう…」

正直がっかりした。跡部の家なんて死んでも行きたくないところランキングでベストテンには絶対に入る場所だ。跡部と話すと緊張するのに跡部の家まで行って会話しなければならないなんてわたしに死ねと言っているようなものだよ忍足君。さっきまで空腹で家で倒れているであろう弟たちのために早く学校をあとにしたかったけれど、今は中学校生活三年間で一番愛校心に溢れていると思う。それくらい学校から離れたくない。跡部の家いーやーだーと駄々をこねると自分ええ脚しとるなーと(笑)がつきそうなバカにした声音で忍足が笑う。彼は立ち上がって荷物を持ち上げ、わたしが嫌がっているのをわかっていてなおも、ほな行くか、と言った。ああ死亡宣告に聞こえる。





太陽はとっくに地平線の下へ隠れて空は暗く黒ずんでいる。街灯の灯りはじめた舗装したてのアスファルトの道の上には、微妙に距離を取って歩いているわたしと忍足しかいない。なぜ距離を取っているかは宍戸や岳人の教えを忠実に守っているからだ。彼らがわたしに口を酸っぱくして言うことには、「忍足(侑士)にはあんまり近づきすぎんなよ危ないからな!」。処女喪失したくないんだったら色目使うなよ絶対に!誤解されるような行動も取っちゃダメ!過保護な親かと思うほどそういう二人の表情には何か鬼気迫るものがあったから、素直に従うことにしている。忍足はわたしがなんとなく距離を取ると不必要に近づこうとはしなかった。とくにこれといった会話はないのに気まずいという感じもない。なんであいつらあんなに血相変えてわたしの心配するんだろ、とぼんやり思う。

「そういえば
「なあに」
「この距離何やねん」

あ、考えてるそばから突っ込まれた。閑静な住宅街に立ち並ぶ家々から夕飯のにおいが漂ってきて、それらは雑多に混ざり合い原型をなくす。ちょっとりょうくんとがっくんがねー、と初等部時代の懐かしいあだ名を引っ張り出して誤魔化す。「そりゃありょうくんとがっくんにお仕置きせなあかんなあ」忍足はにやりという擬音が最も似合いそうな笑みを浮かべた。道のそばに立つ時計はもう六時半を指している。ふと不審に思ったわたしは宍戸と岳人への"お仕置き"の方法を考えているらしい忍足に尋ねた。

「跡部の家ってこんなに遠いの?」
「ん?跡部の家なら逆方向やで」

はあ?思わず歩みを止めてフリーズすると、意地悪な笑顔の忍足は爽やかにしれっと、何や今まで気付かへんかったん?と言う。だ、騙された…!

「跡部に報告なんて明日すればええ話やろ」
「じゃあ榊先生がどうってのも…」
「信憑性増すし、断れなくなるやろ?」

悪びれもせず爽やかに笑う忍足に背中に妙な戦慄が走る。だからこんなキャラだったっけこの人。いよいよ真っ暗になりかけた道でわたしが立ち止まると、忍足は少し驚いたように足を止めた。

「なんでそんなことしたの」
「なんでって、…野暮な質問やな」

中学生らしからぬ大人びた笑顔で忍足はわたしに近づく。さっきまで取っていたはずの微妙な距離はないも同然まで縮まった。忍足のかける必要のない伊達眼鏡越しの目とわたしの目が視線を介してぶつかる。近づいてみると忍足も綺麗な顔してるんだなと改めて知った。どうりで女の子に騒がれるわけだ。横目で薄暗い道を見てもわたしたち以外に通行人はいない。忍足はわたしの顔を両手で包み込むようにしてわざとらしく吐息を混ぜた声で言った。

「そりゃあ自分、好きな子と二人っきりになれる時間は多ければ多いほうがええやろ?」

わたしは家でお腹を空かせているであろう弟たちと自分の焦る気持ちを天秤にかける。天秤はがたがたとせわしなく上下しいっこうに落ち着く様子を見せない。こんなことなら距離を取ったままでよかったのに、と友人からのアドバイスを守りきれなかった自分を悔いる反面、やばいなこれ惚れたな、と心の隅っこで小さく思った。



初恋革命

(ときめきが覚醒した日)

title by √A




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