幸村くんはかっこいい。どこか儚げで脆そうな印象を与える外見とは裏腹に、とても心が強い人だ。儚げとはいっても女々しくないし守ってあげたいと思えるようなものではない。女友達はそう言うとだいたい否定的なまなざしで「ありえない」と口をそろえて言うが、わたしは彼をかっこいいと思う。同じクラスでそこそこわたしと仲が良い仁王からしてみれば「強いが厳しい奴じゃ」だそうだ。その厳しさも含めてかっこいいと思う。そんな人間離れした魅力を一身に持ち合わせている彼に話しかける勇気などわたしにはなくて、いつもただただ横顔を眺めていることしかできない。

「告白とかせんのか」
「まさか、できるわけないじゃない」
「せめて喋ってみるとか」
「いいんだよべつに」

ほら、アイドル眺めてるみたいな、神格化してるみたいな。茶化すように言及をかわすと仁王はふうんと素っ気なく横目で友達と談笑する幸村くんに目をやった。開け放たれた窓から舞い込む風に幸村くんの青みがかった髪がなびいている。きれいだなあと呟くとお前さんベタ惚れじゃのうと苦笑された。否定はできないのでこちらも苦笑いだけ返しておく。と、突然強い風が吹き込んだ。廊下に貼り出されたプリントがぱらぱらと音を立てる。そのときだった。

ばちん、と音がしたように思えた。幸村くんがわたしを見たのだ。わたしと幸村くんの視線が絡み合う。なんだか照れくさくなって目を逸らしたくなったのに、それは彼の前では許されないことのように感じられて目を逸らすことができなかった。鳶色の目はわたしのすべてを見透かすようで思わず心を奪われてしまう。ふいに幸村くんが友達との談笑に戻るべく目を逸らす。それと同時にわたしは現実世界に引き戻された。今までの時間が永遠だったような一瞬だったような不思議な気分だった。隣の仁王がおおと冷めた声をあげる。少なくともさっき幸村くんと見つめあっていた時間は、普段の生活とは隔離した非日常だったのではないかと思う。

「…お前さん達、話したことあったか」
「ううん、ない」
「そうか…」

どうして仁王がそんな質問をしてきたのかはどうでもよかった。今のはなんだったのだろう。白昼夢を見ていたようにも感じられるけれど、仁王にもわかっていたあたり夢ではなさそうだ。それにあれこれ勘ぐることができるほど脳味噌が冷静でなくて、思考にフィルターがかかっているようだった。そのときのわたしは誰よりもお馬鹿さんだったから、仁王が新しいおもちゃを見つけた子供のようにいたずらっぽい笑みを浮かべていたことなど知る由もない。


***


彼女は不思議な目をしていた。ときどき視線を感じていたのは、きっと彼女が俺を見ていたからだろう。自惚れにも聞こえるかもしれないが、俺は確信している―――彼女は俺のことが好きだと。態度から推し量ることができるほど俺たちは親密でないし(だいいち話したことだってないんだから!)、俺も女心ってやつは正直理解しがたい。それでも確信できるのは、前に彼女が自分でそう言っていたからだ。盗み聞きする趣味はないのだが、たまたま彼女と女友達が話している場面に遭遇したことがある。そのとき好きな人はいるかという話題の中で、遠慮がちに彼女は「あのね、わたしは幸村くんが、好きだなあ」とはにかむように言ったのだ。願わくばそのときの彼女の顔が見たかったが、今まさに話題の渦中の人物が急に登場したら面倒なことになるのは目に見えていたからわざわざ見に行くことはしなかった。もうずいぶんと前のことだが、それから俺は彼女を少し気に掛けるようになった。

いつだったか、彼女は俺から少し離れたところで仁王と談笑していた。仁王が「面白い女がいる」と言っていたのはおそらく彼女のことだろう。相変わらず小さくてふわふわしていて女の子らしいけれど、女特有の性格の悪さはにじみ出ていない。性格が良いからか、はたまた俺を超える策士だからかはわからない。友人のどうでもいい話に付き合っていると、急にそれまでと打って変わって強い風が窓から吹き込んできた。廊下に貼り出されたプリント達がぱらぱらと鳴る。その音につい吸い込まれ、廊下のほうを見た。

彼女は俺を見ていた。彼女はほんのりと顔を赤らめて目を逸らそうとしたけれど、俺はそれを許さなかった。単に心の中で目を逸らさないでくれと願っただけなのだが彼女は俺から目を離すことをやめた。通じたことに少しだけ驚いて彼女に見入る。俺を惹きつける不思議な目をしていた。彼女が目を離せなかったのではなく俺が彼女に見惚れていたといってもいい。幸村、話聞いてるか?という友人の問いによって俺は現実に引き戻され、目を逸らす。視界の端で仁王が薄笑いを浮かべていた。どれくらいの間見つめあっていたかわからない。思考回路にもやがかかったようで、俺らしくないなあと心の中だけで小さく自嘲した。


***


「仁王、聞きたいことがあるんだけど」
「珍しいのう、アイツのことか」
「相変わらず迷惑なくらい鋭いね」

わざとらしく言葉に毒を含ませて微笑むと仁王はプリッと薄く笑った。こういう棘のある冗談は相手が仁王や蓮二でないと通じないから、たまに彼らに言ってみるのも面白い。

「お前さん、アイツの名前知っとるか」
「それを聞きに来たんだよ」
「幸村にしちゃずいぶんと攻めあぐねとるのう」

仁王はさも可笑しそうにくすくす笑った。ゴシップニュースを彼はテニス部の誰よりも好む。

「話したこともないしね」
「運命的な恋愛じゃな…いやお前さんに限ってそんなことはないじゃろ、のう?勝算があるからってもたついてるとほかの男に取られるぜよ」
「ご忠告どうも」

笑顔で核心を突く仁王は侮ってはならない相手だ。君が敵じゃなくてよかったよと言うと、そうじゃろうと彼はにやりと笑う。彼と話すとどうしても腹の探り合いのようになってしまうけれど、少なくとも俺は仁王を信頼している。

「それで名前は?」
じゃ。…アイツはお前さんに話しかける気はないらしいってことも付け加えといてやるぜよ」
「それはありがたいなあ」

じゃ練習に顔出さんとな、とひらひら手を振って教室をあとにする仁王にありがとうねと声をかけてもこれといった反応はなかった。いつものことだから気にはしないで、頭の中でという名前を転がしてみる。なるほどふわふわした彼女によく似合う名前だ。どうやって彼女に告白してやろうか。幸村くんが好きなの、とはにかみながら言ったあのときのまだ見ぬ彼女の表情を独り占めしたいといつのまにか思うようになっている自分に気が付いた。逃がさないよ、とかすかにひとりごちて、彼女のあの不思議な目に吸い込まれてしまった自分を笑った。


***


さん」

下校のチャイムが鳴り響く生徒の喧騒の最中でもよく通る落ち着いた声に振り向くと、そこには信じられないことに幸村くんがにこにこ笑みを浮かべて立っていた。隣の女友達がわたしを小突きながら幸村くんに、じゃああたしこれで帰るから、あとはお二人でどーぞ、なんて笑いかける。待ってよと声をかける暇もなく彼女は人ごみに紛れてしまい、わたしもすっと幸村くんのそばに強引に引き寄せられた。幸村くんはそのまま無言で人のいない空き教室までぐいぐいと引っ張っていく。あっとかえっとか言葉にならない狼狽が口からもれた。空き教室の引き戸を閉めたところで、幸村くんはまた人当りのいい柔らかな笑顔で言った。

「きみに話したいことがあったんだ」
「え、えっと、あの、わたしも聞きたいことが」

幸村くんは黙ってわたしに続きを言うように促す。しかしいざ幸村くんを前にするとなんとなく緊張してしまい、言いたいことはあるのにうまく言葉にできない。

「あの、ええと、」
「当ててみようか」

えっ?わたしが目を瞬かせると幸村くんはいたずらっぽく笑った。あ、今の顔仁王に似てる。

「どうして君の名前を俺が知ってるのか。どうしてあのとき目が合ったのか。どうして呼び出したのか。どう?」
「…す、すごいね幸村くんって…」
「人を見て思ってることを読み取るの、けっこう得意なんだ」

にっこり笑う幸村くんがなんだか怖い。ああでもかっこいい。幸村くんは小さい子に語りかけるようにゆっくり言った。

「ひとつめ、仁王から聞いたから」
「仁王から?」
「うん。それでふたつめは、これは偶然。だけど君の目が綺麗で見惚れちゃった」
「やだ、そんな恥ずかしい」

俺も自分で言ってて恥ずかしいよと幸村くんは笑った。ああ綺麗だなあとこういうふとした動作で思わされる。お世辞じゃないのと聞いたけれど、幸村くんはふふっと笑うばかりで何も答えてはくれなかった。

「それでね、みっつめ」

彼は人差し指と中指と薬指を立てる。仁王が半分押し付けるみたいにわたしの名前を教えたんじゃないといいんだけど。プリッとほくそ笑む彼の顔が容易に想像できるから困る。幸村くんは細い指をわたしの頬にぴたりと当てる。

「君に告白するため」

頭が真っ白になった。え、どういうことなの。かっと顔が熱くなって混乱する。そんなにパニック起こさなくても大丈夫だよと幸村くんの白い手がわたしの頬をはさんでくいっと持ち上げる。幸村くんはわたしに歩み寄り、屈んで目線をわたしの目線と合わせた。

「好きだよ、さん」

彼の目はまっすぐわたしを見ていた。今度はわたしが幸村くんの目に見惚れる番だった。何か答えようとかそういうことを考えられる余裕はなく、彼の瞳に吸い寄せられてしまった。ああもう動けないや。



電流の走るまなざし





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