真田のジャージは大きい。たった今身をもってそれを知った。

わたしはレギュラー皆を信じていた。
確かに不安定な一年間だった。幸村の入院、突然部活の体制も雰囲気も変わった。彼の入院によって「三連覇」の三文字は異様に膨れ上がり、まるで石のようにずっしりとした重みを持つようになった。彼らは勝利へ異常に執着するようになった。今までだって早く相手を倒すことにこだわったり真剣勝負をモットーにしていたりと、勝つことに執着していなかったわけではない。ただ今回はわけが違った。「勝ちたい」という願いは「勝たなければいけない」という重圧に姿を変えたのだ。真田は今までよりいっそう厳しくなったし、赤也も凶悪性を増し、ダブルス二組の息はよりぴったり合うようになった。柳のデータの正確性も上がった。プレッシャーのような決意に裏付けされた強さだった。少なくとも近くで彼らを見てきた限りはそう思う。
当然わたしもそう客観的に部を分析するどころではなく、むしろ幸村の病気が発覚してから一番狼狽し混乱しパニックに陥っていたのはわたしだ。選手たちの心身を支えるべきマネージャーがあんなにも頼りない姿を晒してしまったことは今でも後悔している。それも幸村本人の前で。

幸村が入院した次の日、つまりわたしが幸村の前でヒステリーに陥ってしまった次の日、部活が終わってからわたしは真田に頬を殴られた。じんじんと痛む頬を押さえながらわたしは何が起きているのかわからなかった。選手以外には決して手を挙げなかった真田に殴られたことがあまりにも衝撃的で、それを喜ぶとか悲しむとかどうしたらいいんだろうと考えをめぐらす余裕はなかった。

「真田、おいお前何やってんだよ!」

丸井が真田に掴みかかったところでようやく目が覚めた。憤る丸井をがんじがらめにしている赤也や仁王や桑原もやはり何が起きたのかわかっていないようだった。まるで夢を見ているみたいだとぼんやり考えている自分がそこにはいた。柳だけが少し悲しそうな顔をしながらじっと黙ってファイルを見つめていた。

その次の日学校に行けば、ひそひそとわたしの頬を見た生徒たちの声がわたしを容赦なく取り囲んだ。その日も部活の活動日で、レギュラー準レギュラー平部員問わずわたしを見るなり今日の部活は来ない方がいいと口を揃えて言った。真田に殴られたことを知っているらしい。赤く腫れたわたしの頬を見た丸井や赤也は何か言いたそうだったけれど何も言わなかった。仁王と桑原が黙ってわたしの頭を数回優しく叩いて去って行った。柳生は「今日は休んだらどうですか」と言って心配そうな顔をした。柳は無言でわたしに保冷剤を押し付けた。真田にはこの日、部活が始まるまで一度も会わなかった。

テニスコートではあの黒い帽子を目深にかぶった真田が真剣な表情でボールと対峙していた。打っては気に入らないというように首を振る。どうもこの日の真田は調子が悪いらしかった。彼への対応はまだ決めかねていたけれど、選手の不調を見過ごすわけにはいかない。ドリンクを片手に彼に歩み寄った。道中突き刺さる部員たちからの心配そうな訝しげな視線は総じて無視した。

何も言わずそっとドリンクを差し出すと、真田はいつもよりずっと厳しい眼差しでわたしを見下ろしてきた。わたしのことを許してくれていないに違いない。それはここに来る以前からわかっていた。だてに二年も彼のテニスを眺め続けているわけではないのだから。
彼の足もとにはボールが無数に転がっている。壁打ちをしていたらしい、的となっていた部分は黒っぽく傷ついていた。彼であればもっと正確に狙いを定めることもできるだろうに、その黒い跡は数か所に点在している。無表情の中に隠された悔しい気持ちが痛いほど伝わってきて、わたしはようやく悟った。ああ、この男でもつらい思いをすることがあるのかと。

何かあったら三強に相談しろ。立海男子テニス部における暗黙の了解でありルールである。おおかたの疑問や悩みは柳が解決へと導いてくれる。どんなにつらい状況においてもこの男についていけば大丈夫かもしれないとさえ思わせるカリスマ性を持った幸村はどの先輩より頼りがいがある。真田は強い威圧感と覇気と厳格な姿勢をもって部をひとつにまとめあげている。立海のメンタル面を存在ひとつで支えてきた三人は、わたしや仁王や丸井、それにほかのレギュラーからしても雲の上の人のようで、同い年で同じ人間だというのにどこか遠いように感じていたのだ。

けれどもやはり真田は人間だった。親友が突然倒れて動揺しないわけがあろうか。ましてや(忘れがちだが)彼もわたしたちと同じ中学生、まだまだ義務教育の恩恵を受けているのである。彼はこんなにも冷たい無表情だけれど、その裏では顔を歪ませて狼狽しているのだろう。
そんな状態の真田には何を言ってもわたしの言葉はすべて腹立たしく思えるだろう。わかってはいたけれども言わずにはいられなかった。

「目が覚めたよ、ごめんね真田」

真田は一瞬だけぽかんとした顔をした、ように見えた。なにぶん一瞬だったものだから勘違いかもしれない。何か言われる前にわたしはくるりと背を向けて逃げ出した。

それ以降、全国大会が始まって幸村が帰ってくるまで、わたしは真田と一言も口をきかなかった。わたしが真田の目を見られなくて、真田もそれを察してか事務的なこと以外では話しかけてこない。わたしが彼の顔を見て気まずくなって硬直するたびに彼はすこし悲しそうな顔をする。見るたびに心が痛むのに声をかけることができなかった。


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