亡霊令嬢の住む屋敷の庭には数多くの桜が並んでいる。その中でひとつだけぽつんと枯れきった巨木がひとつ。西行妖という名を持つその永遠に花の咲かない桜の木の下には、一人の遺体が眠っているのだそうだ。

「ロマンよねえ」
「…そうかしら」
「ええ、『謎の巨木の下に眠る不思議!』ってね、あのブン屋あたりなら喜んで記事にでもしそうなところよ」
「うーん、わからなくもないけど…」

桜の木の前に立って、不愛想にとがった桜の枝の先を見上げる。隣に立つ瀟洒なメイドは肩をすくめるだけで、わたしの言葉を理解しようともしてくれない。十六夜咲夜とはそういう人間だ。彼女とは長い付き合いでもないけれど、少なくとも八重咲きの西行妖の前でナイフを構えた彼女と出会ったときからはそう認識している。

基本的にわたしと彼女の価値観はなんとなく食い違っているように思う。あちらは人間、こちらは亡霊。自分の死体を見ない限りは永遠にふらふらと彷徨い続けるわたしが、制限時間などという言葉がリアルに感じられるはずもない。咲夜やあの森の魔女はなんだか生き急いでいるように感じるのだ。それもこれも、大きな原因は寿命の差とかいうものなのだろう。
しかしながらわたしと咲夜は妙にうまがあった。せかせかしているくせにおかしなところでマイペースな咲夜は、窮屈な存在(たとえばあのスキマ妖怪だとか)や面倒な存在(あの庭師だとかお嬢様だとか)とはまた違う、凡庸なことばを使って言うなら彼女はわたしにとって特別な存在だ。

「…ねえ、
「なにかしら」
「今日、お嬢様に蓬莱の薬を飲まないかと誘われたわ」

いつも通りの淡々とした声だったものだから、わたしは一瞬だけ咲夜の言っていることの重大さが理解できなかった。一足遅れてやってきた驚愕に、思わず声にならない声が漏れる。

蓬莱の薬。飲んだ者はたちどころに不老不死の肉体を手に入れるという、伝説の薬。ただの人間である咲夜は主人である吸血鬼レミリア・スカーレットの何十倍も寿命が短い。あれでも咲夜のことが大好きなお嬢様のこと、あとほんの数十年後にやってきてしまう咲夜との別れに恐怖していたのだろう。
しかしあの薬は人生を狂わせる。迷いの竹林に住むという藤原妹紅はその昔に蓬莱の薬を飲んで不老不死になったあと、幻想郷にたどり着くまでにはどこにも定住できず孤独な暮らしを送っていたと聞く。レミリアにもいずれ死が訪れる。最後に残されるのがレミリアになるか咲夜になるか、という命の究極の二択だった。心臓が冷や汗をかいているような思いでおずおずと尋ねる。

「それで? …あなたは、なんて?」
「断ったわ」

あっさりと彼女は答えた。わたしはほっと胸をなでおろす。あまり面識のないレミリア、ほんの五百年ちょっとしか生きていないようなちっぽけな女の子にわたしの特別な存在の運命を決めてほしくなかった、というのが本音だ。いまさら言いやしないけれど。

「それまではあなたに一生尽くします、って宣言してきたわ」
「うふふ、咲夜らしい。なんだかレミリアにプロポーズしたみたいね」
「…」

本当のところ、今の咲夜だってレミリアに独占されたくないのだ。今すぐに咲夜がわたしのものになればいいのに。わたしのそばにいてくれたらいいのに。人ならざる者特有の醜い思想はいつもわたしの心の中にはびこっている。そんな本心を見抜かれるのは嫌なのだ。咲夜の前でやましい態度をとりたくない。そう思っての軽口だった。それなのに、咲夜は急に黙ってしまった。

「…もう、帰らなきゃ。お嬢様が」
「…ああ、そうね、あなたも大変よね」
「ええ、まあ」

咲夜はそっと立ち上がる。彼女を引き留めるすべはわたしの中にはない。遠ざかる紺と白のコントラストにやり場のない右手を宙に泳がせた。いったいいつになったらわたしは咲夜をこの冥界に引き留めておくことができるのだろう。

「ほんとうは、早いところ死んでほしい。…なんて、不謹慎かしらね、咲夜」


あやかしの穢れをしらない
(そうしたら、いつまでも一緒にいられるのに)




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