「あんた、言っていいこととわるいことがあるのよ!」

ばちーん、と小気味いい音が響き渡り、わたしは顔を真っ赤にして屋上を飛び出した。アホの仗助を平手打ちした右手がじんじんと痛む。オイ待てよ、とうしろから声が聞こえるが気にしてなんてやるもんか。われながら子供みたいな理由で拗ねているのがばからしくてなんだか泣けてきた。くやしい。

★★★


が顔を真っ赤にしてわめいたかと思うと突然左頬を鋭い痛みが襲った。ビンタされたと気づくのに要した時間は約2秒。その間に怒れるは猛ダッシュで屋上を飛び出して行ってしまった。となりの億泰がぽかーんと口をアホみたいに開けている。思い出したようにオイ待てよ、と呼びかけてみたがもちろん返事してくれるわけもない。
「なんだったんだァ〜〜?」
突然のことに思考回路の追いつかない億泰ののんきな声が今はとにかく癒しだということしかわからなかった。

★★★


ことの始まりは数分前にさかのぼる。とはいえ、わたしもカッとなって飛び出してきてしまっただけなのでくわしいことは覚えていないが、わたしの食い意地が張っているのを……そう、あのクソッタレ仗助はわたしのことをとても女だと思えないと、そう言ったのだ。許すまじ。

前々から溜まっていた課題をほとんど徹夜でやり遂げたわたしはひたすらに疲れていた。眠たかった。正直学校へ行く道のりで死体で発見されなかったのはほぼ奇跡に近いと言ってもいいのではないだろうか。そんなわたしは先ほど、ただいつものように弁当を食べているだけだった。これを食べ終えたら昼休みいっぱい昼寝してやろうとか思いつつ、普通に、あくまでも普通に。そこに仗助のデリカシーのかけらもない一言が降りかかってきたのである。

「お前よォ、そりゃ女の食べる量じゃあないぜ……ほんとに女か?」

この一言で疲労がマックスまで溜まっていたわたしはブチ切れた。なんでよりによって仗助にそんなことを言われなきゃいけないのだ。億泰に言われたのならまだ許せるが、仗助となれば話は別だ。あざ笑われたようで非常にくやしい。どうせ彼からしてみればいつものように軽口を叩いただけだったのだろうが、あいにくと今日のわたしは心が狭い。どうして仗助なんだ、恥ずかしくって仕方がない……とそこまで考えて、わたしはふと足を止めた。

あれ、どうして仗助にはそんなふうに見られたくなかったの。おかしい。

★★★


とりあえず微妙な雰囲気のまま屋上でぼーっとしているのも居心地が悪かったらしい億泰に、「一応追いかけてやった方がいいんじゃねえか?」と言われたのでおとなしく立ち上がった。の捨て台詞からして女の琴線に触れてしまったってヤツなんだろうが、俺はそんなにひどいことを言った記憶もない。はわりと気安く口をきける女子で、そんでもってその軽口の延長線上にさっきの言葉が出たわけで、今までそんなこともかる〜く許してもらえていた身としては何がまずかったのかよくわからない。女子はやっぱり男とは違う生き物なんだろうな、と苦い顔をしながら廊下を適当にほっつき歩いていると、由花子が歩いていた。彼女は俺を見かけるなり網戸にセミがとまったときみてえな迷惑そうな顔をした。相変わらず康一以外の生物にとことんやさしくない女だ。

「……、見てたりしねえか?」
「……さっき百面相しながらそっちに歩いて行ったけど」

由花子が指差したのは階段。アイツ、学校フケる気かよ。一応お礼は言ってその場を立ち去ると、うしろから「ニブい男はモテないわよ」ととげとげしい声が降ってきた。お前には言われたくない。

★★★


学校を勢いひとつで飛び出したはいいものの、そういやこれっていわゆるサボりってヤツなんじゃあないかしらと足を止める。あんな小学生の男子が言うみたいなかる〜い一言だけで学校から逃げ出すほど動揺した自分が情けなくて信じがたい。財布の中にはドゥ・マゴで時間をつぶすには十分なお金は入っているが、人生初の体験で後ろめたさが邪魔して動くに動けない。
そうやって道に迷った観光客かなにかみたいに通いなれた道をうろうろしていると、遠目からでも目立つ長身の真っ白なコートが歩いてきた。

「……じょ、承太郎さんこんにちは……」
「ああ。……今頃は学校に行っているはずでは……?」

痛いところをつかれて言葉に詰まる。セーラー服着た女子高生が真昼間に往来にいるのだから聞かれて当たり前だが。仗助の年上の甥だというこの男性は不思議そうな顔でわたしの返事をただ待っていた。この人のことは嫌いじゃあないが、そんなに仲良くもないし、数えるほどしか会ったことはないし、あんまりしゃべってくれないので間が持たなくて気まずい。

どう答えたものかと視線を泳がせていると、言いにくいことだと思ったのか承太郎さんは「仗助に何か言われたか?」と先回りして聞いてきた。

「ええと、まあそんな感じだったりします……」
「そうか」

やっぱり会話が続かない。沈黙が痛い。この際誰でもいいからわたしたちに話しかけてくれ、切実に心の中で祈っていると、

「お前ここにいたのかよ!」

……前言撤回、あんただけは来ないで欲しかったわ。

★★★


まさか根は真面目なが理由もなく(いやあるっちゃああるが)早退するとは思っていなかったので念のため下駄箱を確認してみたら確かに靴がなかった。マジかよ、一人でちいさくぼやく。まあアイツものんきに家に帰ったりお茶したりできるような図太い人間でもないしどーせそのへんうろついてんだろ、と思ったら見事にその通りだった。ただめちゃくちゃ意外な人と一緒にいただけで。

「……仗助」
「あっ承太郎さんそれじゃわたしはここで!」
「テメー逃げんじゃあねーぞ!」

見るも鮮やかな動きで俺から逃げ出そうとしたをどうにかつかまえて(スタンド使えば一発楽勝だったぜ)、怪訝そうな顔をする承太郎さんに愛想笑いする。つかんだの腕はものすごく細かった。

「……お前あんだけ食っといて全然太らねーのな……」
「なっ、なによそれ意味わかんない」

思わずこぼすとの顔がなぜか真っ赤になる。今日そんなに暑かったっけか。承太郎さんは呆れた顔で「やれやれ……」と息巻いた。なんだか巻き込んじまったみたいですみません、と謝ると呆れた顔は若干言いにくそうに、

「あまりニブすぎる男は嫌われると思うぞ……例外もいるようだがな」

……だからアンタにも言われたくないんすけど!
目の前で真っ赤になっているがもっと真っ赤になりながらちいさくしぼんでいくのが見えた。



まだ声にはできない

title by 金星




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