或るトレーナーの証言
ハチクさんは無口なひとだ。無駄なことは言わないから、要点だけ話すとすぐに黙りこくってしまう。ヤーコンさん曰く「ああやって雑念を振り払ってる」らしいんだけど、雑念を振り払った無駄のない動きは確かにめちゃくちゃかっこいいんだけど、せっかくジムに挑戦しに来たわたしをないがしろに扱うなんてゆるせない!思いっきり拗ねた顔をしてパートナーのリグレーを抱きかかえてにらみつけてみてもハチクさんはまったく動じない。リグレーは困ったようにただ首をかしげることしかできないようで、あーもうハチクさんと違って素直で可愛いんだからー!と叫んでみてもハチクさんの冷ややかな目はぴくりとも動かない。そりゃあわたしは今まで五回セッカジムに挑戦して五回とも負けてますとも、ええ!だからって一トレーナーであるわたしを呆れた目で見ているだけでバトルを始めてすらくれないハチクさんはやっぱりおかしいと思う。

「いつになったらバトルしてくれるんです?」
「…お前、本当に俺に勝つ気があるのか」

むっつりと言ったハチクさんは厳格な目でわたしとリグレーを交互に見てから、ふんと何やら納得したように鼻で笑った。笑ったといっても口元は微動だにせず、この人表情筋が死滅しているんじゃないかとさえ一瞬わたしに思わせるほどだ。五回も挑戦しに来ていれば表情という概念から切り離されているハチクさんの感情の起伏がなんとなく読めるようにはなってきたから、ああこの人は笑ったんだなとほぼ直感的に思っただけだ。

「あるに決まってるじゃないですか」

わたしが言うと、ハチクさんは目を一回瞬かせた。仮面の下の目はジム内を覆う氷のように冷たい。

「この間他のジムリーダー達と話す機会があって、そこで面白い話を聞いた」
「ちょっとハチクさん、わたしは世間話じゃなくてバトルしに来たんですけど」
「シッポウジム戦では格闘タイプの、ライモンジム戦では地面タイプの、とそれぞれのジムのポケモンが苦手とするタイプのポケモンをわざわざ捕まえてきて育ててジムに挑戦するごとに毎回パーティを入れ替えている器用な挑戦者がいるらしくてな」

ぎくり。背筋が凍りつく。腕の中のリグレーはわたしの心を読み取ったのか小さく震えて機械音を小さく響かせた。ハチクさんは柄にもなくいつになく饒舌に喋りつづける。

「その女が唯一ずっと連れ歩いているのがリグレーだそうだ」
「そ、それでどうしてわたしにそんな話をしてくれるんですか?」
「しらばっくれるな、女よ。お前がわざわざ氷タイプに不利なポケモンばかりを集めてパーティを構成していることに俺が気付いていないとでも思ったのか?」

うぐ、とわたしは返す言葉が見つからず詰まる。ハチクさんの眼光は先ほどよりもずっと鋭くなっていて、睨まれただけで竦んでしまいそうだった。ハチクさんはたたみかけるように続ける。

「女よ、お前は俺を舐めているのか。それとも、これはいささか自惚れた見解だが、俺に惚れでもしたのか」

耐えきれなくなってくるりと身を翻して駆け出す。リグレーが素っ頓狂な声をあげて、「何するんだよ驚いたじゃないか!」と言った(ような気がした)。ハチクさんは追いかけてこなかった。つるつる滑ってしまいそうな床を震える足で踏みつけて猛ダッシュしたにもかかわらず転ばずにジムを出られたのはもはや奇跡といってもいいだろう。体力には自信のあるほうなのに、心臓はいつもよりも早くどくんどくんと動いていた。バカみたいに呼吸が乱れている。町を歩く人に不審そうな目で見られたけれど、気にしないでジムから一刻も早く離れようと震える脚を駆った。

どうしようどうしよう絶対ばれてないと思ってたのに。頭の中でさっきのハチクさんの言葉がぐわんぐわんと反響してわたしを悩ませる。こんなはずじゃなかったのに!また一歩遠のいてしまったリーグを思うと恥ずかしさで居た堪れない気持ちになって、混乱したわたしを同じくパニック状態のリグレーがなだめようとわけのわからない上ずった声をあげていた。






或るジムリーダーの証言
今まで見てきたどの女とも違う妙な女だった。彼女の魅力的な笑顔は世の男からしてみればかなり目の毒だろうが、俺にとってはそうでもない。飛行タイプにドラゴンタイプに草タイプ、どう考えても俺に負けに来たとしか思えないようなパーティでジムに挑戦に来る。最初から妙だと思っていた。彼女の名前は知らないが記憶には印象深くしっかりとその顔は焼き付いた。

以前までは一週間に一度くらいの頻度でジムに来ていた彼女はあれから三週間ほど経ったというのに来ない。来たら来たで対応が面倒だが、来ないなら来ないで何か物足りないとさえ感じる。一昨日アイリスが「すっごくつよくてキレイなおねえちゃんにまけちゃった!」と言っていたが、それはあの女のことだろうか。俺から逃げておいてソウリュウへ先に行ってしまうとは。珍しくアイリスに対し大人げない嫉妬をおぼえた。会わない日が増えるにつれじわりじわりとあの女の存在は俺の中で大きく膨れ上がっているようで、そのことを自覚して受け入れることが腹立たしいと感じるのにまた違和感を感じた。

あの女にここまで引っ掻き回されるとは思わなかった。探して話をつけようにも名前も住んでいるところも年齢も何一つ知らないのでそんなことができるはずもない。「ハチク、お前最近らしくないぞ」ヤーコン殿にそう言われてしまうほどには俺は悶々と悩んでいるらしかった。

そうしたはっきりとしない心持のまま何か月かが過ぎ、自分の中でもだいぶ彼女のことを忘れかけてきたころ、彼女は唐突にジムに現れた。彼女の手持ちはいつのまにか氷タイプに弱いものではなくなっていて、ポケモン達が彼女を心から信頼しているのがうかがえた。言わずもがな負けてしまったが、彼女は前よりトレーナーとして成長しているように思えた。

「随分と強くなったな」
「えへへ、アイリスちゃんに特訓してもらったかいがありました」

照れくさそうに彼女は言う。前に見たときよりもずっときれいな女になっていると、ふとそう感じた。しぐさや表情に見られる子供っぽさは相変わらずだが。

「それで、お前はリーグを目指すのか」
「ええ、一応」
「ならひとつ、言っておきたいことがある」
俺はジムの中に充満した冷たい空気を勿体つけていつもより深く吸い込んだ。






或る少女の証言
ハチクさんが口にした言葉は勝利の喜びに浮かれていたわたしを硬直させるには十分すぎた。いつもと変わらないポーカーフェイスでさらりと「愛している」とそっけなく彼は言った。わたしの隣のオーベムはわたしがパニックに陥っているのを読み取ったらしく、ハチクさんに批判的な目を向ける。が、彼は素知らぬ顔でわたしをただじっと見ていた。

「返事は?」

彼の声はひどく落ち着いていた。オーベムは昔のようにけたたましく鳴くことはなく、わたしが助けを求めるようにオーベムを見てもこちらも知らん顔で、進化して冷静になりすぎちゃったなあと少し残念に思った。そんなことをしみじみ思っている場合ではない。ジムの中は凍り付いて凍えるくらいに寒いはずなのに、あまりの熱さに頭がくらくらしてきた。

「…もういい。せめて名前だけは教えろ」

耐えかねたハチクさんがいつもよりずっと優しい声音で言うから蕩けてふやけて消えてしまいそうだった。話したいことが次々に脳裏に浮かんでは走り去っていく。自分の口がぱくぱくと動いたのはわかったけれど何を口走ったかはわからなかった。ハチクさんの仮面越しの目が大きく見開かれているのが見えたから、何かわたしは彼を驚かせるようなことでも言ってしまったのかもしれない。もう何も考えたくない、そう思ってハチクさんのほうへ倒れこむ。私たちのあいだの面倒くさかった隔たりが消えたのだと気付くのは、もう少しあとのこと。





ILU事件簿
(ILU=I love you)

title by Airy


inserted by FC2 system