「尊大」という言葉を誰より違和感なく着こなしてみせる男・跡部景吾が怯えているところなんか見たことがない。初等部にいたころから堂々としていて相手が何歳年上だろうが毅然とした態度で受け答えする、ある意味で憧れの人だった。それも初等部までの話で、中等部に上がってからはその物おじしないところがなんだかふてぶてしいように思えてきて、今では極力関わりたくないとさえ思っている。思ってはいるけれども関わらざるをえない状況にある。なぜならば私と跡部は小さい頃からずっと許婚だからだ。「頂点」の二文字を一身に背負う彼が婚約者であることは、私にとってプレッシャーにほかならない。彼に釣り合うような魅力的な女になろうと心掛けていた時期もあったことにはあった。それも長続きせず、気丈に気高く振る舞うことがいかに苦痛でたいへんなことなのかを思い知らされただけだった。ただ唯一の救いともいえるのが跡部の優しさに私が頼りきってしまっていることだ。その行き過ぎた依存がいつからか彼への恋慕に変わってしまったことも実は自分でもわかっている。彼に依存しきってしまい跡部なしでは生きてゆけない私はある意味で面倒見の良い 彼の婚約者にはうってつけなのかもしれない。

テニス部部長の跡部は帰りが遅いので、私は毎日彼の仕事が終わるまで生徒会室の跡部の机の前に座って黙って待っている。仕事中の跡部にわざわざ話し掛けるような話題などないし、跡部と話すとなんだか疲れてしまうから、会話は跡部が話したいと思って口を開いてくれたときだけしか交わさない。お互いが愛し合って付き合っているわけでもないからこういうところはずいぶんと冷めている。それにしたって私は跡部に対して遠慮しすぎなのかもしれない。そんなことをぼんやり考えていると、ふいに跡部が書類をめくる手を止めた。

テメエ俺のこと嫌いか」

突然飛んできた言葉は私の胸に深々と突き刺さった。どくどくと心から血が流れ、焦る気持ちも相まって脈拍はどんどん速くなっていく。あなたは私のことお荷物だと思ってるんでしょうそれでも私はあなたが好きなんです、なんて素直なことが言えるような年齢はもうとうに過ぎてしまった。

「嫌いってわけじゃない、けど」
「好きじゃねえだろどう考えても」
「なら別れる?」
「テメエは昔っから極端だな」

それ、あんたが言うか?軽く冗談を飛ばしてみるも跡部の鉄壁の心に傷一つつけられそうにもなかった。

「跡部は私のこと好きじゃないんでしょ」
「そうでもないぜ」
「またまた、嘘が上手なんだから」
「嘘?」

跡部はぴくりと眉根を寄せる。目を通し終わったらしい書類をとんとんと整理してから彼は立ち上がり、私の隣に遠慮なく腰を下ろした。灰色の瞳が私の視線とぶつかる。私がいやな緊張感をおぼえ身震いしたのを目ざとく見つけた跡部は「俺はそんなに怖いつもりはねえんだが」と苦笑した。その余裕たっぷりな態度が私の体をますます硬直させる原因であることに、彼は気付いているのだろうか。

「俺はの前では嘘はつかないと決めている」
「嘘よそんなの」
「この俺様が嘘を言っているように見えるのか、アーン?」

跡部の目は確かに本気だったけれどそういう問題なのではない。私は跡部が怖いのだ。その恐れが羨望から生まれたものなのだろうとは薄々思っている。

「そういう問題じゃなくて、私」
「俺が怖いんだろ」

全部わかってるんだぞ。跡部は言外に私にそう告げていた。それでも俺は選ばせてやってんだ、テメエが言うか俺が言うか。俺達のどちらかが言い出さなけりゃこの話題は始まらねえ。要するに私が跡部について思っていることを素直に言えばいいだけなのだがとても恐ろしくて口に出そうとすれば詰まってしまう。日はすっかり落ちていたけれど、時計の針はいつのまにか早送りされたように大幅に動いていたけれど、跡部はその間ずっと私の答えを待っていた。

「…私、跡部が怖いよ。跡部はなんでもできちゃうから自分が釣り合わない気がして」
「たしかに俺様はなんでもできるが、釣り合う釣り合わないは他人じゃなくて俺が決める、だから心配すんな」
「そうやってまた私抜きで決めちゃうし」
「お前に決めさせたら別れるって言うだろ」
「どうだか」
「言うだろうな、だが言わせねえよ

ぎろり。そんな擬音が聞こえてきそうなほど強い目で跡部は私を睨みつけた。不思議と今までほど怖くはない。

、愛してる。テメエが俺をどう思っていようがこれだけは変わらねえしお前を手放す気もない。覚えとけ」

真顔で言われた私はぽかんとするほかなかった。愛してるなんて台詞、生まれて初めて言われた。普通ならぽっと赤くなってしまうところなのだろうが、私の頭では処理しきれなかったらしく照れる余裕すらない。おそらくとんだ間抜け面をしていたであろう私を跡部はじっと見つめていたけれどしばらくしてから吹き出した。

お前ほんと、間抜け面」
「うるさい」
「この俺様が愛の告白をしてやったのにそんな顔する女なんかお前しかいねえな」
「うるさいってば」
「だからお前くらいの阿呆が俺様には丁度いいんだよ」

跡部は私の体をすっとさも当然のことかのように抱き寄せた。いつこんな女たらしな言動を覚えたのかしら、私の知らないところで。自分の奥底でひっそり渦を巻き始めた嫉妬に似た感情に気づいて、跡部に悟られないようにそっと押し込めた。平生を装って跡部を見上げると「お前本当に危機感ってものがねえな」と小さく叩かれた。

「跡部」
「ん?」
「じゃあ私将来については心配しなくていいってこと?」
「当たり前だ、

テメエは一生俺様の女だからな。臭い台詞をさらりと言っても違和感がないというのは跡部が持つ才能の一つだと思う。ほんの少しの皮肉のつもりでさりげなく名前で呼ばれたことは無視して「今まで景吾のこと怖がっててごめん」と謝れば、彼は小さく顔をしかめた。

「顔が歪んでるよ」
「名前」
「え?」
「今、どうして名前で呼んだ」

そりゃあんたが私のこと名前で呼んだから、と言っては跡部に屈してしまったような気がするので、ない知恵を絞って精一杯の口答えをする。

「だって私達結婚するんでしょ」
「…お前なあ」

呆れたらしい跡部の私を抱きしめる腕から力が抜けた。してやったり、と思ったのもつかの間、今度は絞め殺されそうなほど強い力で抱きしめられる。うげえと変な声を漏らして苦しいのをアピールしてみたけれど力が緩むことはない。ばたばた腕を振り回し、「も、あ、あとべ、限界」息巻くとようやく彼の腕から力が抜け、晴れて自由に酸素を吸えるようになった。俯いている跡部の顔を覗き込むと、彼はこれまでになく余裕を失っているような顔をしていた。

「俺様をこれだけ掻き乱せるってのも一種の才能だと言わざるをえないな」
「どう、天才的?」
「黙っとけ」

ぴしゃりと頭を叩かれた。地味に痛い。先程よりも格段に緩みきった緊張感に跡部ってすごいなあと感嘆しつつ痛みに耐えるため頭を押さえて机に突っ伏す。と、荷物をまとめたらしい跡部が私の手を掴んで強引に引っ張る。電気も消さず鍵も閉めないまま生徒会室からずんずんと遠ざかり、学校の外まで出たところで跡部が口を開いた。

「今日は歩いて帰るぞ。…

不意打ちの言葉に急に頬に熱が集中する。跡部はざまあみろといいたげな目でにやりと笑って私の手を握り直した。





服従せよミス・テンダー
「懲りへんバカップルやな」
「侑士、いつになく怖い顔してるんだけど」
戸締まり当番だった部員に後からしつこく言及されることになるのを、婚約者たちはまだ知らない。





inserted by FC2 system