夕方、今日もちいさな足音が鎮守府を駆ける。ぱたぱた、ぱたぱた。艦隊がもどってくると鎮守府はとたんににぎやかになる。駆逐艦の娘たちに走ってないですぐにお風呂に入りなさい、と一声かけて、そこでどうやら一人足りないらしいことに気がついた。ぎょっとして子供たちの姿を数えるけれど、いち、に、さん、し、やっぱり一人足りない。

「龍田、暁は?」
「暁ちゃんならさっき埠頭のほうで見たわよ、心配性さん」

ちゃんと帰ってきてるから心配しないでね〜、とのんびりした声が言う。ほっと胸をなでおろして、でもきちんと報告しなくちゃダメでしょう!と柳眉を逆立てる秘書艦榛名の声を背にしてわたしは海へ向かった。
日が落ちる時間もずいぶんと早くなった。懐の時計を見ればまだ四時である。一人前のレディを自称する彼女を心配するにはまだ少し早すぎる時間だったかもしれない。

扉を開くとつめたい海風がわたしを歓迎してくれた。そっけないコンテナの間をくぐりぬけて、彼女がいるという海辺へ歩を進める。ショールでも羽織ってくるべきだったかしら。早くも指先が寒さに固まり始めている。

「こんなところにいたのね」
「し、司令官!? べつにさぼってたわけじゃないしっ」
「だいじょうぶよ、わかってるから。むしろ変に言い訳するから本当にさぼってるのかと思っちゃった」
「なっ……一人前のレディがそんなことするわけないでしょ!」

ぷくっと頬をふくらませる暁の鼻先がほんのり赤い。海原は寒いだろうとマフラーを持たせたのはやっぱり正解だった。こんなに冷たくなっちゃって、と手を握ると何か言いたげな顔をして、けれど彼女は何も言わなかった。あったなあ、わたしにもこんな時期。なんとなくすべてを年上のひとに委ねるのに抵抗を感じるようになって、ひとりでなんでもやってみたくなって、でも甘やかされるのも少しくらいだったらいやじゃないような。むずがゆいなつかしさをおぼえて、大人ぶった口調で、

「心配するからすぐに帰ってきてほしいのに」
「わたし、そんなに簡単に風邪ひいたりしないもの」
「それでもよ。あなたのことが心配で心配で気が気でなかったわ」
「……そんなに信用されてないの?」
「ごめん、ちょっと盛った」
「もーっ」

暁は子供じゃないのよ!中辛カレーだって食べられるのよ!とがらせたくちびるでそんなことを言うからもうかわいくてかわいくてしょうがない。本来は彼女はりっぱな駆逐艦で、幾多の任務に従事して最期は勇ましく散っていったあの暁なのに、こんな小さな子供の姿をしていて、なおかつこんなにかわいくって、皮肉なものだと思いつつもついつい甘やかしてしまう。

「どうしてこんなところに一人でいたの?ほんとに心配はしてたのよ」
「……」
「どうしたの?」
「ないしょ」

たぶん、司令官はへんだっていうから。
いつになくまじめな顔で彼女は言う。言わないよ、と言ってもぷいとそっぽを向いて、遠い水平線を眺めるばかりだ。わたしも同じ方向を見つめてみる。その底には得体のしれぬばけものたちが渦巻いているとは思えないほど穏やかに見える海だ。今日はすこしおセンチさんなんだね、と言ってみると、しばらく間をおいてから「敵を沈めてたら、わたしの艦体が見つからなかったってこと、思い出したの」という返事が返ってきた。

「暁って名前なのに、最期は暁の空なんて見られなかったの」

なんて子供らしからぬ寂しい顔をするのだろうと思った。きっとわたしには計り知れぬ複雑な思いが彼女の底で渦巻いているのだろう。多くの人の命をのせて、敵の砲火を浴びながら夜戦で壮絶な最期を遂げた軍艦を、こんなに小さくて折れそうな少女にした運命を恨めしいと思う。海底から忍び寄る敵と対峙する役目を、こんなにかよわい子供にまかせっきりにしている自分を罪深いと思う。海の風はどこまでも優しくつめたいままだった。

「あした、二人で早起きしよっか」
「……え?」
「そうよ、そうしましょう。朝一番に暁の空をみて、そのあとざぶんとお風呂で体をあっためるの。どう?」
「し、司令官、でも」
おしごととか……とごにょごにょ口にする暁に、だいじょうぶだって!と胸を張る。

「これはレディとレディの約束よ。提督に二言はない!」
「信じていいのかしら、それ」

暁は泣き笑いのような顔だった。沈んだ様子から表情が明るくなっていくさまがそれこそ暁の空のよう。一人前のレディは裏切ったりしないのよ、笑いかけるといつものようにあったりまえよ!と元気な声が返ってきた。
結局そうこうするうちに日はとっぷり暮れてしまっていた。帰ったら榛名がカンカンだわ、と口にするととなりの暁が身を固くするので、自然と口元がゆるんでしまう。こういうところを見るたびに、わがままとはわかっていても、それでもやっぱりここにいる間だけでも彼女たちをただの少女でいさせてあげたいと思う。今日のことは内緒にしようね、おとなしく榛名に叱られよう。そう言って二人して目を合わせて苦笑いをした。二人きりの約束は海だけが知っている。



鉄塊に巣くう乙女

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