不思議なことに彼女は寒がりだった。毎年夏になると僕の家に前置きも何もなしに押しかけてきては、きまって僕の部屋の冷房のスイッチを入れる。夏の日差しに晒されて暑い暑いとうめきながら設定温度を16度まで引き下げる。窓を開けているだけでも風が通り抜けてじゅうぶん涼しいというのに。おまけに彼女はリモコンを握りしめたまま、部屋の主である僕には渡そうとしなかった。だから彼女の居るあいだはずっと、冷房は16度の冷風を吐き出し続けている。いくら僕だって寒い。彼女だって寒がりのはずなのに、素知らぬ顔して僕の部屋の本棚を漁っては本を読みふける。段々と部屋が冷え切ってくると、彼女はまたきまって僕の方へと寄ってきて暖を取ろうとする。最終的には僕に抱き着いて、それでも目だけは活字をじっと追いかけていた。あのとき僕の部屋は夏ではなかったし、それでいて妙に暖かかった。

今年の夏は暑い。盆地という土地柄、京都の湿度は生半可なものではなかった。彼女はどうしているのだろうか。洛山へと進学することは、キセキの世代と呼ばれたレギュラーメンバーにしか告げていない。赤司はどこに行くの、と彼女が問うたときも曖昧にはぐらかしたまま卒業した。親があっさりとばらしてしまっていない限り、彼女は僕の行先を知らない。もう僕のことなんて忘れて恋人の一人や二人つくっているかもしれない。考えるたびにずきりと心が痛むように感じたけれどそんな自分がいたことには知らぬふりをした。

ふと冷房の電源を入れてみる。16度の冷風があふれだす。部活とその行き帰りで生じた汗が僕の体温を奪いながら急速にひいていく。本棚から本が抜き取られることはなかったし、ページをめくる音も聞こえては来ない。聞こえるのは冷房から風が吹き出す音と、じりじりとうるさくてどこか遠い蝉の声だけだ。本を読む気も起こらなかった。そういえばこういうとき僕は何をしていたのだったか。ぼんやりとただ座り込んでいると、部屋には段々と冷気が充満し始める。寒くてたまらない。あの日暖を求めていたのは本当に彼女だったのだろうか。寒がりなのは本当に彼女だったのだろうか。今僕の部屋は夏ではないのだろう。しかし確かにここに暖はなかった。




熱水のなかのテトラ


inserted by FC2 system